Sarah Montana
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2016年の夏 私は賢明な行動をとりました 家族が殺害されたことを劇の脚本にするため ヘッジファンドの快適な仕事を辞めたのです (ため息) 友達と家族には これはアートだと話しましたが 本当のところは 精神的なビジョンの探求だったのです ほとんど知らないある人物との関係に けじめをつけようとしていました その人とは母と弟を殺した子どもです その子は私の友達の弟で 近所に住んでいました 彼は 我が家にあるおやつが入っている戸棚を 何度も漁りに来ました 母は実は バン(屋根付きの車)から 彼に手を振って 「彼は大変な時を過ごしているから 私が見守っているよ とただ伝えたいの」 と言っていました 彼はクリスマスの数日前に 私たちの家に侵入し 現金に替えられるものを探していました ソファで眠っている 私の弟ジムが目に入ると パニックになり 弟を銃で撃ち その場から逃げたのです 彼はコートを忘れたことに気づきました 現場に戻ると ジムは母親に見つかりました 私の母に 顔を知られていることを 理解していた上に 彼の言葉によると 「彼女が叫び止まなかったので」 母さえも銃で撃ち殺しました 彼は今 南西バージニアの刑務所で 終身刑に服しています (ため息) 事件後の7年間 私はなんとか彼を憎まないようにしてきました でも 私の悲しみとトラウマが 不可解なことをもたらしました 彼は私にとって 人間ではない存在になったのです 彼は人間ではなく あらゆるタイプの悪魔の顔になったのです 彼は私の家を襲う嵐に化け 家を引き裂いて 地獄版のオズの魔法使いの世界に 投げ飛ばしました けれど もはや17才の少年ではなく 現在は24才の成人です 刑務所で年を迎えても 「成人」というのならばですが そして 私の人生劇に登場する 悪役について書こうとすると 名前と 子どもの頃の記憶の断片 簡潔な司法文書の存在に気づきましたが それ以上 知り得るものが ありませんでした そこで あらゆる情報があるグーグルに その答えを求めました 彼の囚人識別番号をググったのですが その時 インターネットという罠の 顔面パンチを食らいました 彼が収容されている刑務所では 3分の2の囚人が 1日のうち23時間 独房に入れられ 10部屋中 8部屋は 照明にカバーがかけられていました 置かれている環境は劣悪で 2012年には刑務所全体で ハンガーストライキが行われました この刑務所での権侵害の事例を 次々と見ていくと 彼は突然 私にとって再び人間になったのです 自宅での葬式で 初めて母とジムの遺体を目にした時に ジムの後頭部を撃った銃弾が 小さいながらも 超新星爆発がもたらしたような破壊の跡を見て 後ずさりしたことを覚えています 母の顔はつぶれていました もう母ではなく 前の週にコールズというデパートで買った 黒いワンピースをまとった ただの肉と骨でした これらは 私にとって最も悲痛な記憶です けれど 彼が 殴られ 空腹で暗い独房で 泣き叫ぶ様子を想像すると それは 同じくらい辛く感じられました それは私たちに まだ繋がりがあるからだと気づきました 彼が殺人を犯したときに 私を引きずり出したトラウマの鉄鎖が まだそこにあって 私は引き寄せる力に抗い 泥の中で彼を引きずっていました 過去7年間 私が意識するしないに関わらず ホラーめいたものが 付きまとっていると気づきました 彼が家族を殺したのに 私が彼と繋がろうとしているのです あらゆる解決策 ― 文字度通り 考え得る全ての解決策を 苦労しつつ試した後 この男を追い払う方法は 許すことだけだと気づきました 実にがっかりするような結論です (笑) なぜなら 実は 彼をすでに許していたと 思っていたのですから 友達にも 家族にも 彼を許したのだと伝えていました 全国ニュースでも「あなたを許します」 と話していました では 誰かを許す と言葉にすることは 実際に許すことと同じでないのなら なぜこの男が私の中で繋がっていて 私を引きずり続け 仕事を辞めて劇の台本を書くというような バカなことをさせたのでしょうか? まさに社会が許すことを期待していても 実際に許すまでは 許すふりはできないと分かりました どうすれば効果的に 一度きりで 永遠の許しが与えられるのでしょうか? この問いから 不思議な国に入ります 再びグーグル検索を行い 次には 神学の国 精神科医関連や医学関連の 学会誌の国 ついには 可哀想な夫が家に帰ると 半狂乱の妻が暴れだし 部屋の中を歩きまわり 許しに関する統計を 喋りまくるのを目にします 「聖書には許しに関するくだりが62あり そのうち27が許しという言葉を 含んでいるって知ってた? でも許しの方法が 全く書かれていないの!」 (笑) 素晴らしさだけを語っていて 「Just do it!」 ナイキ版の“霊の贈り物”のようね (笑) それに Dr.ウェインっていう男が こう言ってるわ 「許すためには 水の流れのように なすがままにさせておくべきだ」 どういう意味なの? 夫は用心深く私に近づいて 「一体どうしたんだい?」 (笑) 「私の家族を殺したあいつを 許そうとしてるのよ でも その方法を誰も教えてくれない」 レビューサイトYelpに許し方講座に関する 5つ星レビューが延々と投稿されています 売り文句は魅力的ですが 私は一体 何をしているんでしょう 私は誤った問いを 投げかけていたのだと思います 「いつ どうやって」から始めましたが 「なぜ」かを知るべきでした なぜ許すの?なぜそうすべきか? その時 多くの人が誤った理由で 許しているのだと気づきました 私のような犠牲者は すぐにでも許そうとします それが正しい行いだからです でも 自分に正直になろうとすれば 犠牲者が自動的に許す理由は 3つしかありません 1つ目は 早く許すことで 自分が「いい人」になれると思うからです ありがちな過ちだと思いませんか? 許しが良いことであれば いい人間は直ちに許すべきです でも私の調査では 許すべきタイミングは 見つかりませんでした だれもが 必死で 許すことを避けようとしていました そうしたくないと 分かっているのですから イエスですら もう一方の頰を差し出しなさいと話した時 許しについては語っていません 非暴力について語っていたのです 直ちに許すことと 「目には目を」で 全面的に報復することの 中間の態度が必要なのです 2つ目に 犠牲者は 周りの人全てから 許すべきだとの圧力を受けています それは友達や 家族 メディアからかもしれませんし 宗教的なことが混じった メッセージかもしれません でも本当は みんな直ちに許したいのです そうすれば気が楽になって 前に進めます これはくだらない理由ですよね 3つ目は 許しが 癒しを得るための 近道だという考えです 話を一気に終わりまで 飛ばしてしまえば 腹が立ち 脆くて 厄介で でたらめな癒しを全て迂回できると考えます 結論を先に明かします これはしっぺ返しを食らいます 3つの理由全てが 私に当てはまりました 私はいい人でありたいし 他人を喜ばせることが大好きですし 脆くて腹が立ち 厄介で でたらめな癒しは嫌いです でも 許しに備わる力はとても大きく こうした理由のどれも 効果的ではなかったのです まるで愛のようです 動機が利己的なら 癒しのような 良いことであっても 死を迎える星のように それ自体の中へ潰れてしまうでしょう ではなぜ?なぜ許すのでしょう? 自分を癒せず 自分も相手も救えず 少なくとも許すことだけでは いい人にもなれません なぜなら 許しとは そのようなものではないからです 許しとは人を自由にするものです 「あなたを許します」と言うとき 本当の気持ちは 「あなたが何をしたか知っています それは許せないけど あなたには それ以上の良さがあります この件に私たちがこれ以上この事に 捕らわれることは望みません 私は自分で癒せるし あなたから望むものは何もありません」 そう言えたら それが本心であり 素直な自分になれるのです もはや鎖もなく 捕らわれの身でもありません 元々が いい人であれ 悪い人であれ 醜い人であれ 関係ないのです 私たちの文化では 復讐は自由です でも それは完全なる監獄です 精神的 肉体的にかかわらず あらゆる暴力行為は この不可解で歪んだ親交関係が 形となったものです 『グリークス』で「良き人の死は 良い死である」というセリフがありましたね 考えてみてください 誰かが 私の母と弟について 考えるたびに 彼らがここにいないという事実を思い そして 殺人を犯した 子どものことを考えます この1度の暴力の行使が 実は3者の心を通じて 永遠に結びつけているのです 復讐を選択する時 実は 残りの人生をかけて自分たちのストーリーを 鎖で宿敵に繋いでやるのだと 血の誓いを結んでいるのです 許しが唯一の真の自由への道です けれど自由になるには 何を許そうとするのかについて 極めて具体的に考える必要があります 自分に起こらなかったことは 許しの対象にならないからです 調査する中で あるユダヤ教の教えが 胸をうちました ユダヤ教では 家族は殺人者を許すことはできません なぜなら彼らは殺されていないからです 許すことができるのは 家族を亡くしたことによる 痛み 苦悶と悲しみだけです この教えは私の心に強く響きました 私自身が受けた痛みを 整理する必要がありました 母とジムに起きたことではなく 私の家族に起きたことではなく 社会に起きたことでもなく 私に起きたことです 正義がしばしば犠牲者にとって 大変冷たく感じられるのはこのせいです 何を負っているのか 判断するのは司法の役割です そして刑事司法制度の役割は 何を社会に負っているか判断することであり 犠牲者に負っていることではありません 私たち被害者に何を負っているか 個々にはっきりさせるのは 私たち次第です 例えば 母親を殴った父親を あなたは許せません 父親が 自分をひどく悲しく孤独な気持ちにし 腹立たせたことを許せるだけなのです 私は母とジムを殺したことについて 彼を許すことはできませんでした 今でもそうです 自分が受けた心の傷の深さを 測る必要がありました 2人のいない結婚式 2人のことを知らずして 夫や子供たちが決して理解することのない ― もう1つの私 私の新しい人生が22才に始まる時 本来の姿を彼は壊しました 安全や 家族との親密な関係といった 本来あるべき感覚が 取り戻せるとは 正直 思えません これが私が負っている心の傷です 多くの人々は 許しを疫病のように 避けています 自分の傷を見たくないからです 傷は恐ろしく 不快なものです 多くの人が輸血の時に目を背けるように 見るには気持ち悪いものです そんな感情を全て取り去り 怒りを誰かにぶつける方が はるかに楽なことです 正直に言います「(Just) do it.」 (笑) 許すってそういうこと と思いましたか? これも許す過程で重要なことです 怒りは重要です 傷を熱で焼いて治療するための炎となり 傷跡を残したままにして 回復に向かいます 有り余る怒りがあると III度の熱傷を負います ある程度の熱にさらされない限り 傷跡が残ることもなく 自分の身に何が起こったのか 真実は決して分かりません 真実を知らずして 何を許すべきか知ることはできません でも1度 自分に 何が起こったのかを知れば 古き良き時代の正義の出番です ごめんなさい 夫はテキサスの人なんです (笑) だから 正義の名の下に 何を私に負っているのでしょうか? 謝罪?説明? 拷問室を最前列の席で見学すること? 最後のは別として 多分 一般的には そういうことを 犠牲者に負っています 謝罪や説明を求めれば 十中八九 応じてくれるでしょう だから許しは多くの状況において 正しい選択肢ではないんです 許すことが適切なのは 私たちに対する償いを待つのに 大きな犠牲を伴う場合だけです 彼は何もの間ずっと 鎖に繋がれ 私にまとわりついていました 私は 多くのことを成し遂げました 大学院にも行ったし 素晴らしい男性と結婚もしたし 心から愛せる仕事を始めました しかし これには幾分時間がかかりましたし その過程で 彼のことだけでなく 母や弟のことも 引きずっていたのです 3人を一緒にして鎖に繋いでいました すぐに3人が私の心を 自分の体や経験から 押出してしまいました そして ある日のこと 彼に罰を与え 2人を存在させ続けるために 自分を見失うことに対する代償が あまりにも高くつくと 感じたのです 自分に起きたことが何だったのか 理解したその時こそ 重大な決心をすべき時だったのです 私に負っているものが何か理解し そして 正義を通すことよりも 自分自身のことが大切だと結論付けたのです その時 許す準備ができたのです グーグル検索をやめ もう質問を次々に投げかけるのをやめて 彼に手紙を書きました 母の日記の 白いページを破り そこに書きました 「2008年12月19日に起こったことは 許せることではないし どちらにとっても 「もういいよ」とは 永遠にならないでしょう でも もう良しとはならないからと言って 私にとっての悪者として あなたが私に何らかの責任 ― 謝罪や 説明責任を負ってはいるわけではありあせん あの日に起こった1つのことだけに 自分が囚われていくことに嫌悪を感じています もっと多くのこと あらゆることに 目を向けることを強く望んでいて その願いは 他人に目を向けたり あの日の犯罪を犯した人物としてのみ あなたを位置づけ その部分部分から邪悪を作り上げたりしても かなえられません あなたが 一生をかけて 心の傷を癒すことを願って あなたを許します」 と書きました 何も考えず フラットブッシュ通りと 教会の角にあるポストに投函しました その直後の十歩は 存在が軽くなったかのように感じ 次に 軽い感覚が 地雷を踏んだような ― 強烈な痛みが 胃を襲ったような 感覚へと変わりました 胸は壊れ 張り裂けたようでした そして突如 孤独が訪れました 文字通り1人になり 見知らぬ娘を産み落とし 7年間 1度も話していなかった 女の子に挨拶したかのようです (ため息) 時に彼の不在を寂しく思いさえします (笑) 彼ではなく 私が創造した怪物のことです 物事に白黒がつくと より困難になりました 闘うべき悪役がいた時は 物事はもっとシンプルで もっと身近に感じられました 彼がいる間は 母と弟がいつも近くにいました 母や弟は舞台上には上がらず 舞台脇で控えている役を担っていて 私たちは舞台にいて 母や弟について話していました 私の話はいつも その3人についてでした どの契約を破棄して自由を得ようとしているか 明確にする必要がありました それが終わると 無限の可能性を秘めながら 舞台中央でスポットライトを浴びて 1人で立っている自分に気づきました 本当の許しには あらゆる期待を 棄て去ることが必要です 何か特別なことを願ったり 彼らから返事を得ようとしてはなりません 彼らがいない側に立って どんな自分になるのか知ることも 期待してはなりません 許しは扱いにくい存在です 許しとは 十分に心が癒されて 何も失うものがない状態になってから 正しく行使されてのみ 意味をなす手段です 血の出るような苦痛に苛まれているうちは 許す段階にありません 袖をまくって傷跡を見せられ 何が起きたかを話すことが できないのなら 許す準備はできていません でも 悪役をゆるし 自分を取り戻すのに 遅すぎることはありません そして 悲しみ 痛み 怒り トラウマの 全てから解き放たれ 準備が整ったら 常に自分の正しさを 証明しようとするのではなく 本物の自分を探す道が開けるのです 正直に言います この許しという麻薬は 合法なんですよ! (笑) 十点満点 5ツ星です 強くお勧めします ありがとうございました (拍手)