ルース・チャン
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近い将来 出くわすであろう 難しい選択を思い浮かべてください 2つの職業の狭間で 芸術家になるか 会計士になるか あるいは住む場所を 都会にするか 田舎にするか 2人のどちらと結婚するか ベティにするか ロリータにするか 子どもを持つか 持たないか 病気の親を引き取るか どうするか パートナーが信仰している宗教に 自分は興味がないけど 子育ては その宗教でやっていくか 一生分の蓄えを 慈善事業に寄付するか やめておくか

おそらく 皆さんが思い浮かべた 難しい選択は 大掛かりで 重大で 自分にとって重要なことでしょう どうやら 難しい選択とは 苦渋や心配や歯ぎしりを もたらす場面のようです しかし私は 難しい選択や それが人生の中で 果たす役割について 誤解があると思います 難しい選択を理解すれば 私たち一人ひとりが持っている 隠れた力が見つかります

選択を難しくするのは 他の選択肢との関係性です 簡単な選択では ある選択肢が他より良いのですが 難しい選択では ある選択肢は ある面では 他より良いけど 別の選択肢には別の面で 良いところがあり 総合的には どっちが良いと 言い切れないのです 頭を抱えて 悩みます 今の仕事を続け 都会に残るか 心機一転 田舎へ引越して もっと やりがいのある仕事をするか ある面では留まる方が良いし 別の面では動いた方が良いし 総合的には どっちが良いと 言い切れないのです

難しい選択は 重大なことだけでは ありませんよ 朝食に何を食べるか 迷っているとしましょう 食物繊維たっぷりの シリアルにするか チョコレート・ドーナツにするか 仮に 選択のポイントが 美味しいか 体に良いか だとしましょう シリアルの方が体に良いですが ドーナツの方が ずっと美味しい でも 総合的には どっちが良いと 言い切れない 難しい選択です 小さな選択でも 難しくなり得ると知ると 大きくて難しい選択に 立ち向かう気になるかもしれません 朝食を何にするか 決められるんですから 都会に残るか 田舎へ引越して 新しい仕事をするかだって 決められるでしょう

また 難しい選択が難しいのは 自分の頭が悪いせいだと 思うのは止めましょう 大学を卒業した時 私は 哲学か法律の どちらに進むべきか 決められませんでした 哲学が大好きでした 哲学者になれば 素晴らしいことが学べて 肘掛け椅子に座って 快適に仕事ができます しかし私は 慎ましい移民の家に生まれ 贅沢といえば お弁当の豚タンと ジャムサンドという 環境でしたから 一生をかけて 肘掛け椅子に座って ただ考え事をするだなんて 私にとっては無駄と軽薄の極み という印象でした そこで私はノートを取り出し 真ん中に線を引き 2つの選択肢の やった方がいい理由と 止めた方がいい理由を 考えられる限り 書き出しました こう思ったのを覚えています それぞれの道に進んだ場合の 自分の人生が わかったらいいのに 神様か ネットフリックスが 2つの人生の成り行きを DVDにして送ってくれたら 決められるのに 2つを並べて比較し どっちかの方が良いと わかれば選択は簡単になる

でも DVDは届かなかったし どちらが良いか わからなかったので 私は難しい選択に際して 多くの人が するようにしました 最も安全な道を選んだのです 哲学者では就職できない という恐れから 私は弁護士になりました そして私は気づいたのです 弁護士業は合いませんでした 本当の自分が出せなかったのです 現在の私は哲学者で 難しい選択の研究をしています だからこそ 言います 未知の世界に対する恐れは 難しい選択をするに当たり 誰もが持つ 後ろ向きの動機ですが その根底にあるのは 選択に関する誤解です 難しい選択を迫られた時 こう考えるのは間違いです 1つの選択肢が他より良いのだけど 頭が悪いから どれだかわからない どれだか わからないから 一番 リスクの少ないのにしておこう 2つの選択肢を横に並べて 全ての情報を把握していても やっぱり選択は難しいのです 難しい選択は難しいのです 私たちが無知だからではなく 最良の選択というものがないから 難しいのです

さて 最良の選択がないなら 選択肢を天秤にかけても 差がつかないなら それは どちらも同じくらい 良いということに違いありません つまり難しい選択においては どの選択肢も同じくらい良いと いうのが正しいでしょう そんなはず ありません どの選択肢も同じくらい良いなら コインを投げて決めればいいわけです こんな考えは間違いでしょう 「職業や住む場所 結婚相手に迷ったら コインを投げて決めましょう」

難しい選択の選択肢が 同じくらい良いわけではないと 考えられる理由は他にもあります 2つの仕事が選べるとしますね 投資銀行家にもなれるし グラフィック・アーティストにもなれる 選択に当たり 様々なことが 関係してきます たとえば仕事のワクワク感 経済的な安定 子育てにかける時間などです アーティストの道に進めば 新しい形の絵の表現の最先端に 携わることになるでしょう 銀行家の道に進めば 新しい形の財テクの 最先端に携わることに なるでしょう 2つの仕事は どっちが良いとも 言い切れないと 考えてください

では ここで片方の選択肢の条件を 少し良くします 仮に銀行が あなたに来てほしくて 月給に500ドル上乗せしたとします お金が増えたことで 銀行の仕事は アーティストより良くなりましたか? そうとは限りません 銀行の仕事としては 給料が上がったことで 上がる前より良くなりましたが 銀行家がアーティストより 良くなるという程では ないかもしれません でも もし一方の条件を良くしても もう一方より良くならないなら もともと2つの仕事は 同じくらいの良さではなかったのです 良さが同じくらいの仕事が2つあって 片方の条件を良くしたら もう片方より良くなるはずです 難しい選択の場合 そうは行かないのです

困りましたね 2つの仕事がある どっちが良いと言い切れない 同じくらい良いわけでもない では どうやって選べばいいのでしょう? どこかに間違いがあるようです 選択するということ自体に問題があり 比較はできないのでしょうか でも そんなはず ありません 比較できない2つの中から 選ぼうとしているわけでは ありません 2つの仕事の長所を 天秤にかけているのであって 数字の9と 目玉焼きの 長所を比べているのとは違います 2つの仕事の総合的な価値を 比較することは 私たちには可能で 実際 よくやることです

私が思うに 困惑のもとは 価値に関して 私たちが 軽はずみに持ってしまう 思い込みにあります 正義や美しさ 優しさなどの価値を 私たちは うっかり 長さや質量 重さといった 科学的な数量と 一緒にしてしまいます 価値と関係のない比較を 考えてみましょう たとえば2つのスーツケースのうち どちらが重いか 可能性は3つだけです 一方が重いか 軽いか どちらも同じ重さかです 重さのような性質のものは 1、2、3といった 実数で表すことができ 2つの実数を比較した場合 可能性は3つだけです 一方の数字が大きいか 小さいか もう一方と同じかです 価値の場合は違います ポスト啓蒙時代に生まれた 私たちは この世界の大事なことの鍵は すべて科学的思考が握っていると 思いがちですが 価値の世界は 科学の世界とは違うのです 一方の世界の物事は 実数で測ることができますが もう一方の世界の物事は そうはいかないのです 現実や長さや重さの世界と 道徳的な義務や理想の世界が 同じ構造に なっていると 思い込んでは いけません

私たちにとって大切な 子どもの喜びや パートナーに対する愛情が 実数で表せないのなら 選択において可能性が 3つしかないなんてことには なりません ある選択肢が他より良いか悪いか 他と同じか だけではないのです 私たちには「良い 悪い 同じ」を越えて 難しい選択で何が起きているか 説明するための 第4の関係性が必要です 私が好んで使っているのは 「互角」です 選択肢が互角であれば どちらを選ぶかが 大事になってきますが 一方が もう一方より 良いというわけではないのです むしろ 選択肢は どれも 同じ価値の領域にあり 同じ価値のレベルにあるのです ただ価値の内容が 大きく異なっています だからこそ その選択は難しいのです

難しい選択を このように理解すると 自分でも知らなかった 自分についての発見をします 私たちは それぞれ皆 理由を生み出す力を持っている ということです 簡単な選択にしか直面しない という世界を 想像してみてください 常に最良の選択肢がある世界です 最良の選択肢があれば それを選ぶべきでしょう 合理的でいるためには 悪いことより良いことをするべきですし 選ぶ理由が最も多い選択肢を 選ぶべきですからね そのような世界では 理由の多いものが選ばれますから 私たちが履く靴下はピンクより黒 食べるのはドーナツよりシリアル 住むのは田舎より都会 結婚相手は ロリータじゃなくベティです 簡単な選択しかない世界では 私たちは理由の奴隷に なってしまうのです

考えてみれば 誰かに与えられた理由に基づいて 一番 理由が多かったから 自分は この趣味に はまり この家に住み この仕事をしているんだと 信じるなんて どうかしてます そうではなく 互角の選択肢を前に 難しい選択をして その趣味 その家 その仕事を 自分で選ぶための理由を 自分で作ったのです 選択肢が互角の場合 与えられた理由 つまり― どの選択肢が間違っているかを 判定するための理由は 選択の参考にはなりません この 難しい選択の局面こそ 私たちの持つ 規準を定める力が 発揮される場所なのです その力によって 自分で理由を作り出し 都会の生活より 田舎暮らしを選ぶに値する人間に 自分を変えていくのです

互角の選択肢の中から 選択をする時 私たちには かなり画期的なことができます 自分というものを 選択の理由にできるのです ここが私の居場所です これが私という人間です 銀行家を目指しています チョコレート・ドーナツを選びます 難しい選択における こうした反応は 合理的な反応ですが 与えられた理由に 決められたのではありません 自分で作り出した理由に 裏打ちされた反応なのです 自分は あのタイプではなくて このタイプの人間になると決め その理由を自分で作ると 私たちは真の意味で 本来の自分になるのです 自分の人生の作者になると 言っても良いかもしれません

だから難しい選択に直面したら どっちの選択肢の方が良いかなんて 無駄なことを考えてはいけません 最良の選択肢など ないのです 外にある理由を探すのではなく 自分の内にある理由を探すのです 自分は どんな人間になるのだろう? あなたはピンクの靴下を履き シリアルが大好きな 田舎の銀行家になると決め 私は黒い靴下を履いて 都会に暮らす― ドーナツ好きの芸術家になると 決めるという具合です 難しい選択を迫られた時 どうするかは 私たち次第なのです

さて 難しい選択を迫られても 規準を定める力を発揮しない人は 漂流者です 思い当たる人がいますよね 私は流されて弁護士になりました 自分の主体性を差し置いて 目指してもいなかった弁護士業に 進んだのです 漂流者は自分の人生のストーリーを 世間に委ねます 褒められるとか 怖いとか ラクな道を選ぼうとか 賞罰の仕組みに 自分の進路を 任せてしまうのです 難しい選択を経験して学んだことは 自分が どこに主体性を置くか 自分が何を目指すのかに表れます 難しい選択を経験することによって なりたい自分になるのです

難しい選択は 決して 苦悩や不安の元などではなく 人間が生きる上での 特別なことを 称え喜ぶ 貴重な機会なのです 正解か不正解かという理由だけで 私たちの選択を支配するのには 限界があります 難しい選択の局面でこそ 私たちが本来持っている 個性を生かした人物になるための 理由を主体的に 作り出すことができます だから 難しい選択は不幸ではなく ありがたい幸運なのです

ありがとうございました

(拍手)