Massimo Pigliucci
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想像してください 2300年前ごろに アテネの街を歩いてると キティオンのゼノンに 出会うかもしれません 彼はフェニキア商人でした とても羽振りがよかったのですが 船が難破し 全てが台無しになり 持っていたものを 全部失いました どうにかアテネに着き 何をしたと思いますか? ゼノンは まず本屋に立ち寄り 読書を始めたのです クセノフォンの『ソクラテスの思い出』 という本です ゼノンはこの本に大変興味を持ち 本屋に尋ねました 「どこに行ったら この本の中の誰か この哲学者たちの誰かに 会えますか?」 本屋は振り返って言いました 「ほら あそこに1人 歩いてますよ」 古代のアテネだから 哲学者が 普通に通りかかるのです (笑) 通りかかったのは キュニコス派のクラテスです ゼノンはクラテスの弟子になり 多くの一流の哲学者たちと アテネで勉強を続けます そしてゼノンは 自分の学校を開きました 後に「ストア派」として 知られますが それは「ストア」つまり市場で 哲学を語り合ったからです 決まった場所に集う 他の学派 — プラトンのアカデミーや アリストレスのリセウム — とは異なり ストア哲学者は聴衆に混じり 人生について また人生を より良いものにする方法を説きました ストア哲学は古代哲学の主流の 1つとなります ストア哲学は 初めに ヘレニズム世界に そして共和制ローマ 後に ローマ帝国に広まります ストア派からこの時代の 主な思想家が生まれます その中の1人 セネカは政治家で 劇作家でもあり シェイクスピアに影響を与えました セネカは 皇帝ネロの 不運な顧問でもあり そのせいで セネカは不幸な結末を迎えます マルクス・アウレリウスは 歴史上 珍しい哲人皇帝でした 個人的な日記『自省録』を書き これは 現在 世界中の多くの人に 読まれています 古代哲学にしては珍しく ストア哲学は 多くの女性を惹きつけ 古代ローマの多くの婦人たちが コンビビアを開きました いわば 友人たちとの 集会のようなものです ストア哲学について語り合い 多くの婦人たちが 哲学を生活に取り入れました その中で有名なのが ポルキア・カトニスです 偶然にもユリウス・カエサルの 最大の敵である 小カトーの娘であるとともに カエサルに陰謀を企てた ブルータスの妻でもあります 彼女の人生には 多くの試練がありましたが ストア哲学のやり方で その試練に立ち向かいました さて キリスト教の勃興により ストア哲学も含め 古代哲学の学派は最終的に すべて衰退してしまいます しかし ストア哲学は その後2千年間 人々に影響を与え続けます 今日でもストア哲学が多くの人にとって 馴染みがある理念なのは キリスト教に影響を与えたからです キリスト教の創始者であるともいえる タルソスのパウロに始まり 中世 最も大きい影響を与えた 神学者 トマス・アクィナスに継承され 近代では 最も重要な近代哲学者の 1人であるといってもいい デカルトを通して近代へとつながり さらに ストア哲学から倫理的考えを得た スピノザに受け継がれました さて 歴史については このくらいにして ストア哲学とは何か? まず 大前提として 自然に従って生きる という考えがあります しかし 裸で森に走っていって 木に抱きついたりしないでください そういうことではありません ストア哲学者は人間の本質を 真剣にとらえる必要があると考えました そして 人間の本質には 基本的に2つの面があります 1つ目は 非常に社会的な動物であること 人間は必要なら1人でも生き延びられますが 集団の中でこそ 本領を発揮します 健全な社会的つながりがあってこそ 本領を発揮します 2つ目は 理性が備わっていること もちろん 人間がつねに理性的に 行動するわけではないし 反対に 実際は 理性を保とうと苦労しますが とにかく理性を備えています ストア哲学者は 実際に送ることができる最高の人生とは 理性や知性をもって 社会生活を改善するもの 他者の生活を改善するものだと 考えていました ストア哲学には 基本的な2本の柱があります 後で説明しますが これは実際に生活に取り入れられます 1つ目は4つの基本的美徳です 実践的な知恵 勇気 公正さ 自制です 実践的な知恵とは 自分にとって 良いことと 悪いことが 分かることです 勇気とは物理的なことだけでなく 特に道徳的なことです 立ち上がり 正しいことをする勇気です 公正さは 何が正しいことなのか 他者とどう関わるか また扱うかの 指針となる徳です そして 自制とは 常に適度に物事を行うという理念で 過不足なく行うことです 2つ目は 「コントロールの二分法」です これは 基本的な理念で 自分次第であるものと そうでないものがある という考え方です この見方により 全ての行動を 2つに大別できるので 1つ目のことだけ考え 2つ目のことは考えません 例えば スライドを自分で変えられると思って このトークに来ましたが お分かりのように 私のコントロール外のことでした 気にしているかって? いいえ エピクテトスをご紹介します 最も重要な 古代ストア哲学者の1人で 元は奴隷でした 現在のトルコ共和国のパムッカレ 当時のヒエラポリスに生まれました 彼は獲得されましたー 実際 名前は「獲得された」です 本名は不明で 「エピクテトス」は 単に「獲得された」という意味です ローマの皇帝ネロの宮殿に 連れて来られましたが 非常に優秀で 後に奴隷から解放されます 頭のいい男で ローマの路上で ストア哲学を説き始めます そんなことをしたので 鼻を殴られたました そして この方法は良くないと 考えました 方法を変えるのは 制御できることです また初めからやり直し 自分の学校を開きます 学校は大いに成功しましたが 後に皇帝ドミティアヌスが ストア哲学者をローマから追放します 今で言う 「権力者に真実を申し立てる」ことを 皇帝は歓迎しなかったからです その後 エピクテトスは ギリシャ北西部のニコポリスに移住し 学校をもう一度開き 古代で最も有名な 教育者の1人になります 私がエピクテトスを 気に入っているのは 無愛想で ブラックユーモアの センスがあるからです まもなく それをご紹介しましょう 『語録』という本からの引用です 「いつかは死ぬことになる それが今というなら 今 死のう 後に というなら 今は昼食をとろう 昼食の時間だからだ 後に 死ぬときが来たら考えよう」 死ぬことを心配しないで 昼食の心配をしよう (笑) 死は確実なことで コントロールできません 反対に 昼食は コントロールできます 先程 コントロールの二分化が ストア哲学の 2本の柱の1本だと言いました エピクテトスはこう説明しています 「私達の力が及ぶものと 及ばないものがある 意見 衝動 欲求は 力の及ぶもの つまり 自分の行ないは 全て自分次第である しかし 自分の身体 財産 評判は 力の及ばないもの つまり自分次第ではない」 でも ちょっと待ってください おかしいですよね 身体 財産 評判は 自分の力が及ばないといっています どういうことですか? ジムに通い 身体に良い食事を摂れるので 当然 自分の身体には 力が及びます ただし ウイルスに侵されない限りは 事故で足の骨を折らない限りは つまり 自分で様々なことはでき 健康 評判などのために いろいろ決めることはできますが 結果をコントロールすることはできません 実際には どういうことですか? つまり 人生を歩む上で 内なる目標をもち 結果は コントロール外だから 気にしません しかし 意志と努力は コントロールできるから それらに注意を向けるということです ストア哲学者が うまい比喩を用いています 弓の射手です 弓矢で的を射ようとするとき コントロールできることは 何ですか? まず 弓の練習です 何時間でも練習できます また できる限り良質な 弓と矢を選ぶこともできます そして 弓矢の手入れをすること 矢を放つ瞬間まで集中すること しかし それから後のことは コントロールできません 突風が吹き 最高の射撃がだめになったり 的が敵の兵士なら 動いたりすることもあり そのせいで 的を外すこともあります どうすればいいのですか? キケロが言うには 実際に的を射当てることは 選んでもいいが 追い求めるべきではない 結果によって自信を 左右されないようにし コントロールできること つまり 努力を自信につなげるのです 実際 こう考えると 現代の生活で 大方の見方を変えることができます いくつかの例を紹介します 仕事で昇進の候補に なっているとします 普通は 昇進できるかどうか 心配しますよね ストア哲学では これは間違った考え方です 昇進すること自体は コントロールできません 上司が朝から機嫌が悪く イライラしていて 他のことに気を取られていて 面接がうまくいかないとか 自分がよく仕事ができても その昇進に より適切な人がいることもあり これは 自分でコントロールできません 自分でできるのは 当然 面接の準備にベストを尽くし できる限り良いレジュメを用意し 昇進に見合うよう 仕事に精を出すことなどです コントロールの中心を定め そこに 努力を集中すべきなのです 次に 恋愛関係について考えます 誰もが愛されたいと願いますが それは どうにもできません 相手が自分を愛するか愛さないかは 向こうがコントロールすることです 自分ができることは できるだけ好感を与えるようにしたり 優しくしたり 相手の力になったりすることです 相手が自分とずっと一緒にいるかどうかは コントロールできないことです エピクテトスが言うには この考えを真摯に受け入れるなら 幸せな人生を送ることができます なぜなら 幸せの大部分は 心の平穏にあり 最善を尽くしたこと もうこれ以上は できないということを 常に確信し 人生を歩むことにあるのです 別の引用です「何が自分に 属するか しないか分かっていれば」 つまり コントロール出来ることと 出来ないことが分かっていれば 「決して 強要されたり 妨害されることはない また 他者を責めたり 批判することもなく 全てのことは自発的に 行われるのだ 」と それが実現できれば コントロール不可能なことについて 人が互いを責め合う世界より ずっと素晴らしい世界に なることでしょう 同僚である フォーダム大学の ブライアン・ジョンソンが エピクテトスの理念を 道徳的役割の ひとつのあり方として こう説明しています 人は みな人生で 様々な役割を担っていて 幸福な人生に必要なのは できる限り その役割のバランスを取ることだ 基本となる 3つの役割があります 1つ目は人間としての 基本的な役割です 私達は皆 人間国家の一員です ストア哲学者が初めて「コスモポリタン」 という言葉を使いました 文字通り「世界国家の市民」 という意味です 私達は皆人間で 同じ場所に存在し それぞれ務めを担っています 境遇により 人には それぞれ役割があります 誰かの息子だったり 娘だったり それは自分の選択ではなく たまたま そうなったのです そして それぞれの境遇の中で 自分が選ぶ役割があります ある職業に就いたり 母親や父親になったりなど これら3つの役割は 次のように説明できます 人間としての基本的役割は 何にも勝ります 何をするにしても まず こう自問してください それは人道的なことか 人道的でなければ 行わないでください 簡単な評価基準です 基準に沿って ふるいにかけると 行うことが減ります エネルギーが節約できます 残りは バランスよく行えばいいのです それぞれの役割には 折り合いが必要です もちろん 誰もが 最高の母親 父親 息子 娘 また同僚 友人でありたいと 願っていますが 折り合いが必要です ストア哲学は役割の バランスの取り方について 多くのことを教えてくれます 役割をどう果たせばいいのですか? 一番大事なのは 誠実に 役割を務めることです どういうことですか? エピクテトスが これも説明しています 「自分を知っているのは 自分自身であり 自分が自分自身にとって どれだけ価値があり 自分自身をいくらで売っているのかを 知っている 自分の誠実さを いくらで売るのか考えなさい しかし 神に誓って それを安売りしてはいけない」 完璧を目指せと 言っているのではなく とにかく ただ最善をつくすべきだ 売れるものは自分だけだから 妥協して自分を安売りするな と そうです 自分を売ってしまったら 後にはもう何も残らない 完璧にならなくてもいいが ただ 昨日よりも 少しよくなろう 一歩ずつでいいから そういう考え方です では いくつかの例を ご紹介しましょう エピクテトスによる話です ある父親がいて 娘が病気になり ひどく取り乱します 耐えられずに 家を出てしまい 妻に娘の世話を任せてしまいます エピクテトスは言います 「ちょっと待って あなたのしていることは 正しいですか?」 父親は少し考えて 言います 「ええ 自然に従って 行動しました 私は取り乱していて 耐えられなかったのです」 この例で考えるべきことは 自分にとって自然なのは感情ですが 混同してはいけません 感情をコントロールすることはできません 娘が病気になり 取り乱したとして その気持ちに関して 出来ることや すべきことは たぶん ありません しかし そのことと 娘への道徳的な義務とは異なります 娘の父親なら そこにいるべきなのです たとえ辛くて 感情のエネルギーを消耗しても この話の中で 2つの美徳が作用します 1つは勇気であり 実際に正しい行いをすること 娘のそばにいることです もう1つは公正さです 自分の娘に対して正しい行いを することです 繰り返しますが 人は様々な社会的役割の 均衡を取る必要があります それはあと2つの美徳に 関係があります まず 実践的な知恵 自分に良いことかどうか 分別する美徳です 次に 自制です 全ての行動を適度にし 物事のバランスを取る考え方です エピクテトスを引用すると 「他の社会的役割について よく考えなさい 若いなら 若いとはどういう意味か 年老いているなら それは何を意味しているのか 父親なら 父親であるとはどういうことか それぞれの肩書に ふさわしい行動を考えるべきだ」 自分が俳優で 役を演じると考えてください 役は 明確には決まっていません 例えば 母親の役なら 幾通りにでも演じることができます 常識に従って 演じる必要はありません 自分が正しいと思うやり方で ただ演じればいいのです しかし 母親や父親であるなら その本分があります 実際 この本分をどう尽くすかは 自分次第です ですが 本分があるのは確かです では どうすれば人生で うまく役割を果たせますか? 様々な方法があります ストア哲学は 実践的な訓練が 多くあることで有名ですが 基本的に 最善の方法の1つは 実際に 立派な行いをしている人物 つまり ロールモデルになる人物 行動が模範となり 人生の指針にできる人物を思い浮かべ 手本にして 自分の生き方を変えてください 古代の人々は 実際に出会ったり 人から聞いて知った人物 架空の人物も手本にしました 当時 ロールモデルで人気だったのは 小カトーです もうお話しましたが ポルキア・カトニスの父親で 非常に高潔な人物でした 当時 ローマで 人々が誤った行動をした時に つまり間違いを犯し 期待される行動をしなかった時に 「皆が皆 カトーになれるわけないさ」 と言ったものでした 彼は言い訳に使われました 「あんなに良くはなれない」と それは確かにそうですが 目指すことはできます 古代でロールモデルとして 人気だったのが オデュッセウスです 彼は妻と子供の待つ 故郷に帰るため 途中 永遠の命の誘惑を 2度断ち切り 10年もの長旅を乗り切ります そして 現代にも ロールモデルとなる人物が多くいます 私が好きな人物は ネルソン・マンデラです ご存知のように アパルトヘイト廃止を訴え 20年以上 獄中生活を送ります 当然 獄中にいる間 彼は憤りを感じます しかし 彼の人生で 転換期がありました 囚人の仲間が マルクス・アウレリウスの 『自省録』を持ち込んだのです マンデラはそれを読み こう悟ります 怒りや憎しみから 道は開かれない それが監禁者や 拷問の担当者であっても 人々に手を差し出すことで 道は開かれるのだ と その悟りは彼の人生を さらには 南アフリカ国民の人生をも 変えたのです もう1人 私の好きなロールモデルは スーザン・ファウラーです 2年ほど前 配車サービス会社 Uber内部の 当時 横行していた セクハラ文化を 告発するため立ち上がりました 本人自身 キャリアや交友関係で 大きなリスクを負いました ストア哲学の見地から 告発したのです 私は たまたま彼女と知り合いで 彼女は 実際 ストア哲学を実践しています フィクションの世界で 私の好きな ロールモデルはスパイダーマンで 「偉大な力には 大きな責任がついてくる」と 言ったことは 有名です 私達はスーパーヒーローではないので 偉大な力はありませんが 並の力はあります 選択をする力はありますので その力には 最良の選択をするという 責任が伴ってきます エピクテトスの概念は こう説明できます 人は ちょうど 古代ギリシャの俳優のように いろいろな仮面を持ち 絶えず それをつけ変えているのです 同じ俳優が 違う仮面を被って 舞台に登場し 観客は 仮面を見て 俳優が 今どの役を演じているかを知り そして 彼自身は 違う役を演じていると自覚するのです つまり 幸せな人生とは バランスの取れた人生であり できるだけ良い俳優となり 全ての役を演じる人生なのです ありがとうございました (拍手)