マーティン・ピストリウス
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想像してみて下さい 「お腹が空いた」「痛いよ」 「有難う」「愛してる」 ということが出来ず 身体の中に閉じ込められ 身体を思いのままに動かすことが できない自分を 周りに人々がいるのに 完全な孤独です 外界と接触し 人と繋がり、慰め、社会への関与を 望むのです それが13年間の私の現実でした

大抵の人は話すことや人とコミュニケーション することを深く考えませんが 私は何度もこのことについて考えました 時間がたくさんあったからです

生まれてから最初の12年間は 普通の幸せで健康的な少年でした それから全てが変わってしまったのです 脳感染症を患いました 医者達はその病名を 突き止められませんでした 懸命に治療に当たってくれましたが 病状はどんどん悪化し ついに私はいかなる動きも コントロールすることができなくなり 目で合図することも ついには話すことすらできなくなりました

入院中には 家に帰りたくて仕方がありませんした 母に「家 いつ?」と尋ねたのが 私の口から発せられた最後の言葉でした ついに意識を確認する 全てのテストで反応しなくなり 私は意識を失ったものと 両親は伝えられました 植物人間 生後3か月の知性しか 持たない赤子扱いです 医師は私を帰宅させ 死ぬまでそっとしておきなさいと 伝えました

両親だけでなく家族は その全ての時間を 私に最善の介護を施すことに 費やしたため 友人を失っていきました 1年経ち 2年経ち さらに 3年の時間が経ちました 存在していた私と言う人格が 失われていくようでした 大好きなレゴ・ブロックや 電子回路が片付けられて行きました 自分の寝室から もっと介護しやすい場所に移動させられました かつては人々に知られ 愛されていた 1少年としての記録が忘れられ 亡霊と化したのです

しばらくして 私の心は蘇り 徐々に意識を取り戻してきました しかし私が生を取り戻したことを 誰も気づきませんでした 私は正常な人並みに 全てのことを認識していました 何もかもが目に入り 理解できるのに それを人に伝えることが出来なかったのです 私の人格は ものを語らぬ人体に 閉じ込められ 身体は外界に晒されながらも 息づく心は繭の中に隠されていたのです

厳しい現実に直面しました 残りの人生を 自分自身の内側に閉じ込められたまま 完全な孤独の中で 過ごすことになるのかと 私と同居するのは 自分の思考だけで そこから救い出されることもなく 誰にも親切にされることもなく 友人と話すこともできず 誰にも愛されることが無いのでしょう 夢も望みもなく 何も期待できませんでした 喜びとなるものは何もなく 恐怖の中に生き 正直言えば いっそ死んで 解放されることを待ち望んでいました ケアホーム(簡易介護施設)での 孤独の死を願っていました

人とコミュニケートできないことが どういうことか 上手く言葉で表せないかもしれません 人格が濃霧の中に消え失せ 全ての感情と望みが 抑制され 消され 自分の中で弱められていく 最も辛かったのは 完全な無力感でした 単に存在しているだけでした 全くの闇の中で 自分自身を見出すことができません ある意味 消失しまったのですから 他の人たちが 私の生活を管理していました 何をいつ食べるといったこととか 横向きに寝るとか 車いすに固定するといったことです しばしばテレビの前に座らされ 『バーニー』の再放送を見て 一日を過ごすこともよくありました バーニーはあまりにも 幸せで楽しそうであり 私は逆なので より陰鬱な気持ちになりました

自分の人生を変えたり 他人に気づいてもらうことに関し 全く無力でした 私が見ているなどと思いもせず 行動する人々を 私は無口なまま 観察していたのでした 不幸なことに 私は観察者であっただけでなく コミュニケートする手段のない 完全な犠牲者になったのです 防御することのない物体 感情すらもないと思われたので 人々の悪い側面が 露わになりました 10年以上の間 私の介護役を担っていた人々は 肉体的 性的 それに言葉で 私を虐待しました 彼らはそう思っていなかったでしょうが 私は感じていたのです 初めて虐待を受けた時 私はショックを受け 信じることができませんでした なぜこんなことが出来るのか? 私は混乱しました なぜこんな仕打ちをうけなければ ならないのか? 泣き叫びたくなる私と 戦おうとする私がいました 苦痛、悲しみそれに怒りが 私の心を渦巻いていました 私は存在価値が無いのでは? 私を慰めてくれる人はいません 両親すら私が苦しんでいることを 知りません 虐待が繰り返されるだろうという 恐怖の中に生きていました それがいつ起こるかだけが 知り得ぬことでした この虐待は自分を変えてしまうのだと 思いました ホイットニー・ヒューストンが こう歌っていました 『私から全てを取り上げようとしても 尊厳だけは奪えないのよ』 私はこう言いたかった 「本当かどうか賭けてみる?」

もしかしたら両親が 気が付いて 救い出してくれるかもしれない しかし 2時間ごとに起きて 私が寝る向きを変えるといった 介護が何年も続いてきたことが 息子を失った悲しみの上に重なって 両親にとって心の重荷になりました 絶望とやけになった気持ちから 両親は激しく口論した後 母は私の方を振り向いて 「あんたなんか死んでしまえばいいのよ」 と言ったのです ショックでした しかし母の言葉について考えるにつれ 強烈な憐れみと 母への愛で 心が満たされたのでした しかし やはり何もすることができません

何度もあきらめの境地に至り 深い心の闇へと落ちていくのでした ある出来事が思い出されます 父が車に私を一人残して 店で急いで何かを買いに行ったとき ある見知らぬ人が横を通り過ぎて 私のことを見て微笑んだのです なぜ微笑んだのかは分りませんが 人との繋がりを感じたほんの一瞬が 私の感情を変え もっと繋がりが欲しいと 願うようになったのでした

日々が単調さによって苦しめられ 何度も堪えられない気持ちになりました 自分の思考しかない中で 床を横切る蟻を見て 複雑な幻想を描いてみたり 影の動きを見て 時刻を知ろうとしました 日中の影の動きを学んだのです それを見て帰宅のお迎えまでの 時間が分りました 父がドアを開けて入り 私を連れ帰ってくれる時が 一日で最高の瞬間でした

私は自らの心を操り 現実から逃避することも 幻想で満たされた広大な世界へと 入っていくことも出来るようになりました 現実の方が変わって 私が意識を取り戻したのだと 誰かに気づいて欲しいと願いました 私の願いは 波にあまりにも近い所に築かれた 砂の城のように すぐに流されてしまうので 誰かが私を見ても いつも変わらぬ私の姿しか見えません あるものにとって 私は口を閉ざした 空っぽの貝や植物であり 辛辣な言葉、追放それに 虐待さえも受けるに値するマーティンで 別の者にとっては 不幸にも少年の時に 脳損傷を受けて そのまま大人になった人間でした 彼らは私に優しく接し面倒を見てくれました 良かれ悪しかれ 私は真っ白なキャンバスで そこには様々な私自身が 映し出されるのでした

そこに違った目で私を見る人が 現れました 1人のアロマセラピストが 週に1回 ケアホームに来るようになったのです 彼女の本能的な力か 他の人では不可能な 注意深い観察力によって 私が彼女の言葉を理解していると 確信したのです 拡大・代替コミュニケーションの専門家に 検査をしてもらうように両親に強く勧めました 1年も経たないうちに 私はコミュニケーション用のソフトを 使えるようになりました それは大きな喜びでした 時には言いたいことが沢山あって それを直ぐに伝えられず イライラすることもありました 話せるようになったので たびたび独り言を言いました 今や自分自身という聞き手がいるのだから 自分の考えや望みを 聞いてくれる人々もいるだろうと 信じました

コミュニケーションが増えるにつれて 自分の新しい「声」を作りだす試みの 始まりに過ぎないと気付きました どのように機能しているか知らない 世界に飛び込んでいきました ケアホームに行くことを止め コピーを取るという初めての職を得ました 単純なことに思えるかもしれませんが 素晴らしいことでした ワクワクするような新しい世界でした しかし時にはひどく圧倒され 怖いこともありました 私は子供のまま大人になったので 自由を感じる一方 苦悶もしました そこで学んだことは 長い間私のことを知っていた人達は その記憶の中にあるマーティンの イメージから抜け出せないことです 一方 初めて出会ったばかりの人達は 無口なまま車いすに座っていた 男性のイメージを払拭できません 中には彼らが期待する通りのことを 私が話すときだけ 耳を傾ける人達がいることにも 気づきました それ以外の話には注意を払わず 彼らが良かれという方法で振舞います

真のコミュニケーションとは 単にメッセージを物理的に 伝えるだけではなく 耳を傾けてもらい 敬意が払われるような ものであるべきだと悟りました 状況はどんどん良くなってきました 身体は徐々に力を取り戻し 大好きなコンピュータの仕事を得ました 何年もの間夢見ていた愛犬も手にしました コジャックです

しかし人生を共にする 人がいたらと願いました 仕事を終えて父の運転する車で 帰宅の途上 窓から外を眺めながら 人を愛する気持ちがこんなにあるのに それを与える好きな相手がいないと思いました ついに残りの人生を一人で過ごすことから 解放される時がきました ジョアンと出会ったのです 彼女との出会いはそれまでの私の人生で 最高の出来事であっただけではなく 私の私自身に対する誤解を解こうと 彼女は手を差し伸べてくれたのです ジョアンは あなたの語る言葉に 惚れたのよ と言いました そう言われても 自信が持てません 誰も私が障害者である事実を乗り越えて 1人の人間として受け入れることは できないだろうと思ったからです

私は本当に一人前の男性なのかと 理解するのに苦しみました 初めて男性としての扱いを受け 私はその場で硬直しました 周りを見渡して「誰?僕の事?」 と言いたくなるような感じです ジョアンは全てを変えてくれました 素晴らしい絆です 心を開いて正直に話すことの 大切さを学びました 心の安心を得て 自信をもって 自分の思ったままに語ることができました 私だって人に愛される価値があるのだと 感じ始めました

私は自らの運命を変えていこうとしました 仕事について少し要求を出しました 周りで手伝ってくれに人に対し 自分一人でやる必要性を訴えたのです コミュニケーション手段を与えられたことが 全てを変えました 言葉と意思によって 周囲の人々 さらには 私自身がもつ先入観に挑みました

コミュニケーションによって 周りの人々と 深いレベルで繋がることで 人間が人間たるものになります 出来事を語ったり 欲すること、必要とすること 願いを表現したり 他人が話すことに 注意深く耳を傾けることです こうやって世界の人々は 自分たちが何であるかを知り得るのです もしこれが無かったら?

真のコミュニケーションは理解を深め 思いやりや憐れみで満たされた 世界を作り上げます 私は 一度は植物状態にあって 車いすに縛られた 意識のない亡霊と みなされていました 今はそうではありません 夫であり、息子であり、友人であり 兄弟であり、事業主であり、 大学を成績優秀で卒業し 熱心なアマチュア写真家でもあります 全てコミュニケーション能力のおかげです

動作は言葉よりも 多くを語ると言いますが 疑問です 本当にそうでしょうか? 言葉はコミュニケーション手段として とてもパワフルなのです 口を使って言葉で話したり 目でものを語ったり 言葉を使わず 代弁者を通して コミュニケーションすることもできますが 言葉はその中でも もっとも強力な手段です

私はひどい暗闇の世界から 人々の介護により助け出され 言葉のおかげで 皆さんにお会いすることが出来たのです 本日 皆さんにご清聴頂いたおかげで 私はさらに光の差す世界へと入っていけます 皆さんと一緒に輝くことができます 私がコミュニケーションする上で 最大の障害があるとすれば 愛や感謝の言葉を 大声で言ってみたり 囁くことができないことです いつも同じ調子ですから でも できましたら 次の2語を 出来る限り温かく受け止めてほしいのです

サンク・ユー(有難う)

(拍手)