ジョン・マクウォーター
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テキスト・メッセージは 災いの元だと言われます テキスト・メッセージのせいで アメリカだけでなく 世界中の 若者の全般的な 読み書きの能力 ― とりわけ書く能力が 著しく衰退すると言うのです とりわけ書く能力が 著しく衰退すると言うのです これを真実と思いがちですが 実はそうではありません 見方を変えて テキスト・メッセージは 活気があるだけでなく 奇跡的なもので ― 目の前で起きているのが 言語の多様性の 出現だと理解するには 少し離れたところから 言語の本質を見る必要があります そこから見えてくるのは テキスト・メッセージは 書き言葉ではないということです どういうことでしょうか?

言語は おそらく15万年前 ― あるいは遅くとも8万年前から 存在しています 最初は話し言葉として現れました おそらく言葉を話すのは 人間の遺伝的な特性で 言語は主に話すためにあります 文字が現れたのは かなり後になってからです 他の方が話していた通り ― 正確な時期については 意見が分かれますが 定説によると 人類の歴史を24時間とすると 文字が現れたのは 午後11時7分頃に過ぎません 書き言葉は最近のことなのです 初めに話し言葉があり その後 伝達手段の一種として 書き言葉が現れました

ただ誤解は禁物で 書き言葉にも強みがあります 書くことは 意識的なプロセスであり 見直すことができるので 話すときには あまりしない 言い回しが可能です 例えば ギボンの 『ローマ帝国衰亡史』の 文章を思い浮かべてください

「戦闘は12時間以上に及び 徐々に撤退していたペルシャ人は 無秩序な敗走を始めた とりわけ恥ずべき例は 主な隊長達と スレナス自身であった」

美しい文章ですが実際には こんな風に話す人はいません 少なくとも 再生に興味があるのなら こんな話し方を すべきではありません (笑) これは普通の 話し方ではありません

普段の話し方は 全く異なります 言語学者によると 意識せずに 普通に話すとき ― 7〜10語のまとまりで 話す傾向があります 自分や 何人かでしゃべる様子を 録音すると わかります 話し言葉とは そういうものです 自由度が高く 電報のように端的で 推敲しない点が 書き言葉と大きく違います 私達は言語を文字として 見る機会が多いので "言語 = 書き言葉" と 考えがちですが 言語本来の姿は話し言葉です 2つは違うものです

ただ 歴史が進むにつれて 話し言葉と書き言葉が ある程度 混ざるのは 当然のことです 例えば かつて ― 聴衆に向けて話す時は 書き言葉のように 話すのが普通でした 古い映画にありがちですが 人前に立つと 咳払いをしてから こんな風に話しました 「エヘン 紳士淑女の皆さん…」 普段の話し言葉とは 異なる話し方です 文体は堅く ギボンと同様 文は長めです 書き言葉のように 話していたのです 例えば 最近映画が公開され リンカーンがよく話題に上ります あのゲティスバーグ演説は メイン・イベントと呼ぶには短く その前 2時間に渡り エドワード・エヴァレットが 現代はおろか当時でさえ 魅力のない演説をしました 現代はおろか当時でさえ 魅力のない演説をしました 重要なのは書き言葉のような スピーチを聞くことで 一般の人がそれを2時間も 立ったまま聞きました それが当たり前でした 書き言葉のように話すのが 当時のやり方でした

もし書き言葉のように話せるなら 論理的には 話し言葉のように 書きたいと思うときも あるでしょう ただ話し言葉には 問題がありました かつては話し言葉を 書き取ることが 技術的に難しかったのです 速記を除くと 手書きはまず無理な上 ― 伝達できる内容も限られます 手動式タイプはもちろん ― 電動式タイプや コンピュータでも 非常に難しいことでした そもそも話すペースに ついていける位 ― 上手くタイプできても 瞬時にメッセージを 受け取れる 相手が必要です

メッセージを受信できる 携帯機器があって はじめて ― メッセージを受信できる 携帯機器があって はじめて ― 話すように書く条件が 揃ったことになります こうしてテキスト・ メッセージが登場します テキスト・メッセージの構造は とてもいい加減です 送信時に大文字や 句読点など誰も気にしません でも話すときもそうでしょう? テキスト・メッセージを 送るときも同じです

テキスト・メッセージは 「書く」行為を伴うけれど テキスト・メッセージは 「書く」行為を伴うけれど 本質的には「指で話す」ことに 他なりません こうして話すように 書くことが可能になりました これは興味深いことですが 一種の堕落と思われがちです テキスト・メッセージは 構造がいい加減で 文法や学校で学ぶことから 逸脱しがちです 文法や学校で学ぶことから 逸脱しがちです だから何かヘンだと 感じるのです そういう感覚は よくわかります

でも実際に起きているのは ある種の多様性の出現です 「指で話す」ことから それが垣間見えます それを理解するためには この新しい言語に 新たな構造が生じる様子を 観察する必要があります

テキスト・メッセージで よく使われる表現に "lol" があります 私達は普通 "lol"の意味を 「大声で笑うこと」だと 考えています 確かに基本的にはその通りで 古いテキスト・メッセージでは 実際 この意味で 使われています でもテキスト・メッセージをよく送る人や その変化の背景を意識する人なら "lol" は もはや 実際に笑う意味はなくなり もっと形式的な言葉に 変化したことに気づくでしょう

これは20才位の女性が 最近送った実際の テキスト・メッセージです 最近送った実際の テキスト・メッセージです

「ところで そのフォントいいね」

ジュリー 「lol ありがと gmailが遅くなってる」

面白い話ではないし 実際に笑っている人も いません (笑) それなのに書いてあるのは 間違っただけかもしれません

スーザン 「lol そうだね」 また言っています 不都合にしては 笑い過ぎでしょう

ジュリー 「メール送った」

スーザン 「lol 届いたわ」

"lol" を文字通りにとると とてもおかしく見えます

ジュリー 「で どうしたの?」

スーザン 「lol レポート10枚 書かなきゃ」

面白いと思っている わけがありません ここでは "lol" は 共感や好意を示す 標識として使われています 私達 言語学者はこれを 語用論的不変化詞と呼びます 実際の話し言葉では よく使われます 日本語だったら しばしば文の最後に 「〜ね」をつけますし 黒人の若者が話す言葉には "yo" が使われます いくらでも論文が 書ける題材ですし 実際に書いている人も 多いと思います "lol" は語用論的不変化詞に なりつつあるのです これが実際の言語使用です

もう一つの例が "/" (スラッシュ)です これまで通りに スラッシュを使った場合 ― 「パーティー / 交流会を 開く予定」のような 「パーティー / 交流会を 開く予定」のような 感じになります 若者のテキスト・メッセージでは スラッシュが かなり違った意味で 用いられます 話題転換で使われるのです

たとえば サリーが こう言います 「だから 遊び相手を見つけなきゃ」 ジェイク 「Haha」 この "Haha" も興味深いですが 今は扱いません 「Haha じゃあ一人で行くの? なんで?」

サリー 「NYUのサマー・ プログラムの間だけ」

ジェイク 「Haha スラッシュ 今 見てるビデオ ― サンズの選手が 片目でシュートしてる」

このスラッシュは面白い 話の後半の内容は よくわかりませんが 途中で話題が 変わったことはわかります つまらないことに思えますが 考えてみると つまらないことに思えますが 考えてみると 実際の会話では スムーズに話題を変える方法が いくつかあります 一気に話題を変えるのではなく ひざをたたいて 考え込むように遠い目をしたり 何でもないのに 「そう言えば・・・」と 言ったりします (笑) でも実際は話題を 変えようとしているのです テキスト・メッセージでは それができません そこでそれを可能にする方法が 発達してきました どんな話し言葉にも 言語学者が 新情報標識と呼ぶ要素が いくつかあります テキスト・メッセージでは スラッシュが新情報標識です

このように新しい表現は どんどん出現していますが それでも何かおかしいと 思いがちです 構造には何か欠陥があるし 『ウォール・ストリート・ジャーナル』の 言葉づかいほど 洗練されていません でもよく考えると テキスト・メッセージはまだ存在せず でもよく考えると テキスト・メッセージはまだ存在せず 『アイ・ラブ・ルーシー』が 放映中の1956年にも こんな風に言う人がいたのです

「アルファベットや九九を知らず 文法通りに書けない人が大勢いる」 「アルファベットや九九を知らず 文法通りに書けない人が大勢いる」

それ以前も同じようなことは 言われていました コネチカット州のある教師は 1917年に こう言っています 1917年といえば 書くことについては あらゆる面で完璧だったと 誰もが信じている時代です ドラマ『ダウントン・アビー』では 皆きちんと話していますしね ドラマ『ダウントン・アビー』では 皆きちんと話していますしね

「国中の大学で 『新入生は綴りも句読法も 身についていない』という 悲鳴があがっている」

時代をもっと 遡ることだってできます ハーバードの学長の 1871年の言葉です 電気はなく 名前を フルネームで呼んだ時代です

「文章を書けば ひどい綴りで誤りがあり 表現も稚拙である」

やり玉にあがっているのは 文章を除けば 大学の勉強にちゃんと ついていける人達です

さらに遡ると 1841年に氏名不詳の ある教育長が怒っています 以前から憂慮している ― 作文の技術を おろそかにする態度のせいです

さらに時代をずっと遡ると 紀元63年 ― (笑) ある男性がラテン語の 乱れについて こぼしています ある男性がラテン語の 乱れについて こぼしています でも彼が指摘したラテン語は 後にフランス語になるのです (笑) (拍手) いつだって気にする人はいます それでも地球は回り続けるのに・・・

だからテキスト・メッセージについて 最近は こう考えています 今 私達が目にしているのは 若者が開発中の まったく新しい書き言葉です 彼らは これを普通の書き言葉と 併用しているので 言葉を2つ操れるのです バイリンガルは認知能力に よい影響があるという ― 証拠がそろいつつあります 同じことが 方言の使い分けにも言えます また書き言葉にも あてはまるはずです テキスト・メッセージとは 現代の若者が無意識に 2つの言葉のバランスを とっている証拠であり 言語のレパートリーを 増やすことなのです とても単純です 1973年の世界から来た人が 1993年の学生寮の 掲示板を見たとします 『ある愛の詩』の時代とは スラングが多少違っても 『ある愛の詩』の時代とは スラングが多少違っても 掲示の内容は 理解できるでしょう でも1993年は それほど昔ではないのに 『ビルとテッドの大冒険』みたいに 人々を連れ出して 現代の20才の人が書いた ― 平凡なテキスト・メッセージを 読ませたとしても きっと内容は半分も 理解できないでしょう 現代の若者が小さな デバイスで話をする ― この何気ない瞬間にも まったく新しい言語が 出現しつつあるからです まったく新しい言語が 出現しつつあるからです

もし私が未来に行けるなら ― たとえば2033年に行けるなら 真っ先にたずねたいのは デヴィッド・サイモンが 『ザ・ワイヤー』の 続編を作ったかどうか これは本当に聞いてみたいです それから『ダウントン・アビー』が どうなったかも知りたいです その次に16才の女の子が書いた 文章を見せてもらいたいです 文章を見せてもらいたいです この言語が 今後どう進化するのか 知りたいのです できれば その文章を 私達の時代に送って 今 起こりつつある 言語の奇跡を研究したいのです 今 起こりつつある 言語の奇跡を研究したいのです どうもありがとうございます

(拍手) ありがとう (拍手)